2014年7月26日土曜日

Facebook

今週はひたすらにADEO BusiaのFBページを更新していた。
FBには長い文章を載せづらいので、新たにブログも解説。もちろんケニアの人にADEOの活動を知ってもらうのが主な目的だけど、今後の研修生の方が用いるデータベース的な存在にもなればなと思う。

ページにいいねをしてもらうという行為について考える。ADEO BusiaのFBページが多くの人に認知されたとき、どのようなメリットがあるのかとか。
ひとつのプロジェクトについて、ファシリテーターとして協力してくれる人の求人が容易になる。プロジェクトの宣伝ができる。とか、色々あるとは思うけど、もうひとつ考えるのは、周囲の期待が大きくなれば、ADEO Busiaスタッフの意識も高まるんじゃないかなということ。

このFBページはケニア人のためのものなので、実際にページにいいねをしてもらいたいのは、主にケニア人なのですが、日本にいるメンバーの方々にもこんな感じのことをしてますというのを知ってもらいたいということもあり、いいねのリクエストを送らせていただきました。

いいねしてくれた方、ありがとうございました。興味がある方、覗いていいねしてやってください…。

2014年7月23日水曜日

100日

なにげなく手帳を眺めた。

昨日でどうやらケニアに来て100日が経ったらしい。
この100日間、良くも悪くも考えることはたくさんあった。

最近感じたこと。

日本人であるということ。
ケニアという日本から離れた国にいるからこそ、「日本」という国を意識する。この前たまたま東京を舞台にした映画を見て、自動ドアや満員電車、電灯に照らされた夜の街を歩く会社帰りの人々の姿に懐かしさと、ほのかな怖さを覚えた。
日本にいれば(というか東京にいれば?)、大概のものは手に入るし、大概のものは食べられるし、大概のことはできると思う。お金さえあれば。色々なものや人に溢れた世界には、色々な楽しみや財産も転がっていて、同時に色々な欲や嫉妬も溢れているのは自然なこと。
その点では、ケニアには色々なものが足りないけど、精神的にはよっぽど先進国だといえる。もしこれからうまい具合に経済成長して、色々なものや人を手に入れた時に、この精神的な豊かさがなくなっていくのかと考えると少し悲しい。

ただいまケニアは14:50です。体調不良、別の場所でのミーティング、大学の授業、原因不明というそれぞれの理由でなぜか4人スタッフが来ていなく、オフィスには2人のみ。今週はひたすらにADEO Busiaブログの更新をせかせかと進めていたのだけど、少し飽きたのでブログを更新しました。

2014年7月20日日曜日

ボス

金曜日にナイロビからボスがやってきました。
彼がブシアに来るというのは当日まで知らされておらず、久しぶりの再会にテンション上がりました。
面白かったのが、ブシアオフィスのスタッフが明らかに緊張していたこと。喋り方とかもいつもより
大人しいし、あまりに静か。

ブシアオフィスでの進捗具合だったり、色々と話をして、すぐに具体的なアドバイスをくれることに感動しました。やっぱり田舎と都会では時間の流れ方が違うんだなと改めて実感。

リソースセンターの話をしていて、いずれかパソコン講座やビジネススクールを開設して、ADEOに少額でも資金が入ってくるようにできればベストだねと言われました。メインテナンスのためのお金もかかりますし。今の問題点を解決したうえで、新たに生まれる問題点への対策を常に考えるようにしろと、とても的確なアドバイスを頂きました。ありがたい。

2014年7月18日金曜日

子供

何人家族なのかよく聞かれる。
4人というと4人だけかよという反応をされる。
周りを見ても、5人6人7人兄弟というのはざらにいる。

自分は21歳で大学に通ってるし、お金もないし、結婚なんてまだ現実的なものではないけれど、
21歳で既に子供5人いますという人もいる。もちろん複数の女性の子供。

ホテルで働いている同い年の奴は、ことあるごとに日本人と結婚したいから紹介してほしいと頼んでくる。彼曰く、ケニア人のことは好きになれないとのこと。ケニア人女性を好きになったことがなく、学業の妨げになるので、彼女もつくったことがないらしい。ああ、こういう純粋というか生真面目な若者もいるんだなと思ったら、でも子供は4人いるんだけどね。というどんでん返し。

彼は大学に行くためにお金を貯めているらしいけど、月収は日本円で言ったら5000円くらいしかない。この収入で子供たちはどう生きていくのか。放置かな。
自分で招いた結果なのに、「俺は苦しんでるんだ。金を恵んでほしい」と冗談なのかもしれないけど、しつこく言ってくることにいらっとして、なんで避妊しないんだと追求すると、「コンドームが高いから」としれっと言いやがった。
「コンドームより子供育てるための費用の方がよっぽど高いと思うけど」と返したら、それはその通りだとなぜかげらげら笑っていた。へらへらした態度がとても不快だった。しまいには、女性を見た時に脳から出る信号の働きとか説明しだしたから、はいはいはいはいで終わらせた。

国が違うし、文化も違うんだから、考え方が違うのは当たり前。
でもこの社会では明らかに女性への負担の方が大きい。納得がいかない。

2014年7月16日水曜日

ビザ

キスムにてビザを更新。
とにかく無事に更新できて一安心。2000シリングです。
いかついおじさんに色々質問されたけど、やっぱり黒人って迫力あるな…とぼんやり考えながら冷静に振る舞うことができるくらいには、ケニアに慣れてきた。
普段は周りに日本人はおろか外国人もほとんどいないため、パスポートを握りしめたインド人や白人を多く見かけて、謎の親近感を覚える。
日本人だということを告げると、じゃあ安全だなはははと豪快に笑われる。日本人だったら別に詳細聞かなくてもいいやとさらっと言っていたけど、それはそれでどうなんだ。日本にも悪い奴はいっぱいいますけど。って教えてあげたくなった。

最後に指紋を取られた。要領がよく分からず戸惑っていたら、実は不審者なのか?はははとブラックジョークをかまされた。やられた。

今回はスタッフの一人と一緒に手続きに行ったのだが、入国管理局で働いている男性とそのスタッフが友達ということで、申請までの待ち時間もほとんどなかった。待っている人がいるのに先に申請に通されたことに違和感というか申し訳なさを感じたけど、こういうことケニアに来て多いなと考える。まあ日本でもバイト先に友達来たから特別割引とかそういう事例はあるのだけど、身内への優遇という面ではケニアの方が断然多い気がする。これが温かみにもなるし、汚職にもなっちゃうんだろうな。

2014年7月10日木曜日

前半戦

もうすぐで前半戦が終わろうとしているので、これまでを少し振り返る。
4月の後半にナンバレオフィスに来てから任された仕事はほぼない。以前の研修生の方々から、仕事を任されることはほぼないので自発的に動いていくようにとアドバイスを受けてはいたけど、正直予想以上だった。もともとケニアはゆったりとした雰囲気なのに、資金難という条件が重なり更にゆったりとしている。

最初の1週間はうわあ本当に何も頼まれないわ期待されてないわどうしようと悩んではいたものの、何かしようと思い立ち、ADEOの過去のプロジェクトサイトであるムソマ孤児院を訪問することに。初めての訪問で様々な困難を抱えている人々を目の当たりにし、プロポーザルを書こうと決意。それ以来、家畜を持っている人はどれくらい利益を生みだしてるのかなとか、孤児のうちどれくらいの割合が学費を払えているのかなとか、教育へのモチベーションの違いはどこから来るのかなとか、なにか疑問が浮かぶ度に実際に訪問して、生の声を聞いてきた。何度も訪問しているので、ムソマの人々はYoheiはもうムソマの一員だと歓迎してくれるんだけど、それが嬉しくもあり心苦しい。訪問する回数が増えれば増えるほど、彼らが自分に向ける期待も大きくなっていくのが分かるから。自分は単にもっと知りたいと思って訪問していても、彼らにとってはそれだけじゃない。もしこれで資金を取り付けられなかったら失望させてしまうんだろうな。頑張りたい。

もう一つ書きたいのがリソースセンターについて。リソースセンターはナンバレオフィスに隣接している施設。若者たちがパソコンを学びに来たり、友達と話しに来たりする憩いの場のような感じ。地域ごとの青年グループが各々が抱える課題について話し合う会議などもここで行われている。
かといってもほとんどのパソコンが壊れていて、いくつか稼働しているものもウイルスに感染して仮死状態。150冊ほどある本も学術的なものばかりで誰も読んでいない。インターネット配線も機能停止。
決してパソコンを有意義に学ぶことができる環境とは言えず、ナンバレオフィスのスタッフもナイロビオフィスにメールを送る場合はいちいちネットカフェに行ったり、若者の誰かがモデムを持っていないか探し回らなければならず、業務にも支障あり。
インターネットが使えれば求人情報などの情報を手にいれることも容易になるだろうし、この施設を利用する若者が増えれば、互いの農業や牧畜のノウハウを共有したり、有意義な情報交換を促進することができるはず。
ということで、以上のような理由からこの施設の環境改善を訴えたプロポーザルをナンバレオフィスのボスに提出。駄目出しでもなんでもいいからコメントが欲しかったが、返ってきた答えは「いいんじゃない?でいくらくらい集めたいの?」のみ。舌打ちを堪える。
以前から彼には「インターネット配線がなぜ機能停止したか、稼働していないパソコンは修理可能なのか、それとも新しいパソコンを購入する必要があるのか。諸々の条件の違いで予算も変わってくるし、実際に業務に支障も出てるんだからとりあえず修理業者を呼んで状態を確認すべき」ということを訴えてきた。その意見自体には同意してはいたものの、何度催促しても「すぐ来る。分かってる。今は忙しい。」
そんなに忙しいならFacebookに自分の写真投稿してんなよと突っ込みたい。彼の陽気で明るい性格自体は好きだけど、彼の行動の遅さはナンバレオフィス全体にブレーキをかけているのではと疑問。オフィスのスタッフもそんな彼の正確に半ば呆れている。でも諦めたら終わりだと思うし、しつこく食い下がる。なんせ自分には時間がないし。

以前から一つのことに集中すると周りが見えにくくなる性格だけど、ムソマやリソースセンターの案を進めるうえでも、問題やニーズの発掘するための視点は持ち続けたい。とても愚痴っぽくなってしまった。そしてお腹の調子がすこぶる悪い。オフィスのトイレはただの穴と鍵のかからない扉なので、何度もトイレに行くのはしんどい。エネルギーを使う。詳細は割愛。

2014年7月9日水曜日

サバサバデー

昨日77日はサバサバデーでした。

「サバ」はスワヒリ語で「7」です。ということで77日がサバサバになります。

ケニアでは与党ジュビリー連合対野党CORD連合という構図があるのですが、サバサバデーにはオディンガ代表らによる野党連合大集会が開催されます。
オディンガ代表の出身部族であるルオ族が多数居住するキスムでは、「キクユ族(ケニヤッタ大統領出身)出て行け、カレンジン族(ルト副大統領出身)出て行け」などのビラが、キクユ族・カレン人族が多数派のナクル、ナイバシャでは、「ルオ族出て行け」などのビラが町中に張り出され、部族間の緊張が高まる日です。

 

部族間紛争とか物騒だな…と心配をしてはいたんですが、特に何もなく平穏な一日でした。ケニアに関して物騒なニュースを聞くことも多く、日本にいる友人や家族に心配をかけていることもあるとは思いますが、僕が住んでいるナンバレという地域はとても安全です。生活にも慣れて危機管理の意識が薄れてくる頃かなとも思うので、とにかく何事もなく過ごせるように気をつけます。

2014年7月5日土曜日

7月

いつのまに7月です。あともう少しで研修の前半戦が終わる。
ここまで長かったような短かったような…。

4月中旬にナンバレオフィスに来た最初の日に、今ファンドが途切れているから、進行中のプロジェクトはないよとさらっと告げられ、絶望したことが懐かしい。まあ遅くても6月初めくらいには再開できるんじゃないかなと言っていたけど、結局再開したのは先週の日曜日。まあ1か月遅れただけじゃんという考えになるのが、ケニアのゆったり感に侵されてきた証拠。

おかげさまでナンバレオフィス内でやる仕事はほとんどなく、ムソマ孤児院という過去のプロジェクトサイトに多くの時間をかけることができたのは不幸中の幸いかなとも思う。日本にいても募金とか支援としてできることはあるけど、なかなか受益者まではイメージしずらい。貧困で苦しんでいる子供たちだったり漠然としたイメージを思い浮かべることはできても、そこで生きている人たちひとりひとりの顔や声や思い浮かべることはできない。けど今は自分のなかで受益者として具体的に浮かび上がるものがある。これはひとつの大きな収穫。

ケニアに来る前、「困っている人々を私が助けたいんです」とか言っている大学生を見て、この人本気で自分が助けられると思ってんのかなと冷ややかに見ていたときもあったけど、何かをしてあげたいという気持ちを持つのは大切なことのようにこの頃思えてきた。世界はそんな簡単には変わらないんだけど。難しい。

2014年7月2日水曜日

温度差

この前初めて会った若者たちとHIVについて少し話した。
日本にはHIV感染者はいないのかと聞かれたので、もちろんいるけど、ケニアほど多くないと答えた。何故?と聞かれたので、なぜだろうと思いつつもコンドームを使うから?娯楽が多く、むやみな性行為に走るリスクが低いから?などど自分の意見を述べていたら、話していた若者のひとりが
「でもしょうがないよね。HIVって風邪みたいなもんだし。気をつけててもかかるときはかかるし。」
とぼそっと言った。
いやいやそれは違うだろと反論すると、「え、君はケニアの社会が完璧になることを望んでるの?」と付け加えられた。このもやもや感は何なんだろうな。先進国の主張を一方的に押し付けるのはエゴだと思うけど、ケニア人の中にもとても温度差があるんだなあ。